日本の紙幣に描かれているの肖像画の変遷・推移・歴史の一覧まとめ!改造紙幣・兌換券・日本銀行券とは?

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政府は、現在使われている1万円札、5千円札、千円札の紙幣のデザインの変更を検討しており、各々渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎の使用を考えているようだ。

日本の紙幣で使われていた肖像画の変遷・推移・一覧をまとめてみた!

日本の紙幣で初めて肖像が使われたのは、1881年(明治14年)に発行された改造紙幣1円券に描かれている神攻皇后である。

その後に発行された紙幣の肖像画について調べてまとめてみた。

何度も肖像画として登場している人物もいるが、最多は聖徳太子の7度となっている。

発行年 紙幣 肖像画
1881年(明治14年) 改造紙幣1円券 神攻皇后
1882年(明治15年) 改造紙幣5円券 神攻皇后
1883年(明治16年) 改造紙幣10円券 神攻皇后
1888年(明治21年) 改造兌換銀券5円券 菅原道真
1889年(明治22年) 改造兌換銀券1円券 武内宿禰
1890年(明治23年) 改造兌換銀券10円券 和気清麻呂
1891年(明治24年) 改造兌換銀券100円券 藤原鎌足
1899年(明治32年) 兌換券5円券 武内宿禰
兌換券10円券 和気清麻呂
1900年(明治33年) 兌換券100円券 藤原鎌足
1910年(明治43年) 兌換券5円券 菅原道真
1915年(大正4年) 兌換券10円券 和気清麻呂
1916年(大正5年) 兌換券5円券 武内宿禰
1917年(大正6年) 兌換券20円券 菅原道真
1930年(昭和5年) 兌換券5円券 菅原道真
兌換券10円券 和気清麻呂
兌換券100円券 聖徳太子
1931年(昭和6年) 兌換券20円券 藤原鎌足
1945年(昭和20年) 兌換券200円券 武内宿禰
兌換券200円券 藤原鎌足
1945年(昭和20年) 兌換券1000円券 日本武尊
1948年(昭和23年) 50銭政府紙幣 板垣退助

改造紙幣とは、大日本帝国政府が発行した紙幣。損傷しやすく、偽造も多発した明治通宝紙幣と交換するのを目的としたもの。

兌換券とは、いつでも要求しだい券面に記載された金貨などの正貨と交換できるよう保証された紙幣。

発行年 紙幣 肖像画
1942年(昭和17年) 日本銀行券5円券 菅原道真
1943年(昭和18年) 日本銀行券1円券 武内宿禰
日本銀行券10円券 和気清麻呂
日本銀行券35円券 菅原道真
1944年(昭和19年) 日本銀行券100円券 聖徳太子
1945年(昭和20年) 日本銀行券10円券 和気清麻呂
日本銀行券100円券 聖徳太子
1946年(昭和21年) 日本銀行券1円券 二宮尊徳
日本銀行券100円券 聖徳太子
1950年(昭和25年) 日本銀行券1000円券 聖徳太子
1951年(昭和26年) 日本銀行券50円券 高橋是清
日本銀行券500円券 岩倉具視
1953年(昭和28年) 日本銀行券100円券 板垣退助
1957年(昭和32年) 日本銀行券5000円券 聖徳太子
1958年(昭和33年) 日本銀行券10000円券 聖徳太子
1963年(昭和38年) 日本銀行券1000円券 伊藤博文
1969年(昭和44年) 日本銀行券500円券 岩倉具視
1984年(昭和59年) 日本銀行券1000円券 夏目漱石
日本銀行券5000円券 新渡戸稲造
日本銀行券10000円券 福沢諭吉
2000年(平成12年) 日本銀行券2000円券 紫式部
2004年(平成16年) 日本銀行券1000円券 野口英世
日本銀行券5000円券 樋口一葉

銀行券とは、銀行が発行する一定の貨幣額を表示した紙片で強制通用力が与えられ通貨として機能するもの。

金本位制度が停止されて以降は、兌換制度は廃止されている

日本銀行発行の日本銀行券は燃やせば消える紙であるが、そこに書かれた数字の価値が強制的に与えられているものなのだ。

渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎への肖像画変更は偽造防止などの理由の為となっているが、平成から令和へ元号が移行する事も背景にあると思う。

新紙幣は新しい時代の一つの象徴となるのかもしれないが、キャッシュレス化が進む現代社会、令和時代の中で紙幣はどのような役割を担っていくのだろうか?

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