1998年、今思えば時代の一つの転換期だったかもしれない。
景気は下降し、山一証券が破綻に追い込まれた。
そんな1998年は日本でビックバンに点火された時期でもあった。
日本ハムビックバン打線
2000年前後の日本ハムファイターズは強力打線が売りだった。
1998年は北海道移転前で東京ドームを本拠地にしていた時代だが、田中幸雄や片岡篤史に加え、ブルックス、ウィルソンの両外国人を加えた強力打線で破壊力満点!!
(1998年はこの4人で計99本塁打)
翌99年にはこの打線に小笠原道大が2番打者として加わり、ビックバン打線は更に強固になっていった。
この打線を誰がビックバンと名付けたかは知らないが、その時代背景に「金融ビックバン」があるかもしれない。
景気が悪くなる一方で金融の自由化を推し進めた時代。
大きな爆発力を期待してのことだろう。
まだまだビックバンが必要だ!!
21世紀になり小泉純一郎首相が誕生し、小さな政府作りが進められた。
小さな政府は、「民間で出来る事は民間で!」との考えがある。
一つ一つを見れば、各々がビックバンであろう。
そしてビックバンが必要な要素がこの国にはまだまだある。
資本主義国家であるので、国に頼るのはセーフティネット程度にするのが本来あるべき姿。
その為には改革が必要だ。
一番ビックバンが必要なのは我々国民一人一人であろう。
大きな意識改革をしなければ日本の社会主義感はどんどん強まっていくばかりだ。
とは言え、国民全体をビックバンさせることは困難だ。
であれば、せめて自分1人だけでも意識改革と言うビックバンを起こさなければならない。
1998年前後に始まった景気下落、そしてその時代に始まった金融ビックバン、その成果・方向性がわかるのはもう少しだけ先になりそうだ。