2022年3月11日で東日本大震災から11年。ロシアのウクライナ侵攻から国やDNAを守る事について考えさせられる日々。

日本社会

2011年3月11日に起こった東日本大震災から11年を迎えた。

災害の恐ろしさと命の尊さを考える出来事であったが、世界ではロシアがウクライナを侵攻し、最たる人災である戦争が行われている。

命よりも大切なものがあると考えられる日本人はとても少ないと思う!

震災から10年であった昨年2021年を区切りとして、政府主催の東日本大震災の追悼式は終了となった。

自治体主催の追悼式を行うのも、2022年は8市町村だけのようである。

こうした自然災害は風化してはならないと言われる。

追悼式があろうがなかろうが忘れてはならないのだが、追悼式をやらないというのは政府としてはそこまでしなくてもいいでしょ、という考えなのかなと思ってしまう。

政府主催で長く毎年行われている追悼式としては、8月15日に行われている「全国戦没者追悼式」がある。

戦争はそれだけ忘れてはならない、行ってはならなという政府の意思表示と言えるだろう。

だが、世界では戦争はなくならない。

我々日本人は過去の戦争や多くの自然災害から命の尊さや命を守る行動を教育されているが、世界では命の見方が異なるのかなと感じる。

侵略を簡単に考え、民間人までターゲットにするロシアは命をとても軽いものに見ているようだ。

一方、ウクライナを見ていると、ウクライナという国や民族を守る為に戦う民間人も多い。

ウクライナはソ連・ロシアに限らず、過去にドイツなどからも何度も侵攻を受けているので、自国を守るという意識がとても強いのだと思う。

自分の命を懸けてでも国やウクライナ人としてのDNAを守らなければならないと考えている人が多いのだろう。

日本では「命よりも大切なものはない」と教えられるし、そう思っている人がほとんどだが、ウクライナ人など世界には「命よりも大切なものがある」と考えている人がいるのだ。

自分や自国のアイデンティティを無くしてまで生きている価値は無いという事なんだろう。

隣国のポーランドなどに逃げているウクライナ人もいるが、それも単に命を守るという事ではなく、ウクライナ人のDNAを守る為にとても重要な行動なんだと感じる。

 

世界各地で戦争・紛争は絶えないが、我々日本人は平和ボケしていると言われる。

確かに1945年8月15日以降、日本では戦争が行われていない。

一方、多くの自然災害からの被害を受け、対自然災害で如何に命を守るかについてを学んでいる。

そして、世界の戦争から如何に国やDNAを守るべきか、命とは何ぞやを深く考えさせられる日々となっている。

ここ数年、SDGsなる言葉が流行っているが、そもそも全てが無くなってしまったら持続可能な社会の実現など有り得ない。

だからこそ命を懸けて戦う人がいるのだろうが、私がお国の為に戦えるかと言われればその答えは「No」であり、私も平和ボケしているうちの1人と言われても否定はできない。

ほとんどの日本人が「No」と答えると思うのだが、「攻撃は最大の防御なり」的な感じに世界が動いているのを見ると、その対極にある日本のアイデンティティはとても弱いなと感じてしまう。

戦争がない世の中が平和な世界と言われるが、その実現の為に命を懸けた戦いをしなければならないとは…人間って本当に愚かだと思う。

世界全体が平和ボケできる時代がやってきてほしいと願うばかりである。

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