厚生労働省から、子どもが3歳になるまでは従業員がテレワークも選択できるように企業に努力義務を課すことを盛り込んだ報告書案が出された。
最近、「努力義務化」という言葉が盛り込まれた政府の報告書や法律が増えているように感じる。
努力義務は努力する義務であり結果が伴わなくても良いのだろうか?
厚生労働省は、既にワークライフバランスの推進策として、勤務時間と勤務時間の間隔を一定時間以上確保するように企業に求めているが、これも努力義務となっている。
70歳までの就業機会の確保についても、事業主はいずれかの措置を制度化するように努力義務が設けられていて、就業環境に関する事に関して良く使われる言葉なのかなと思う。
思えば、コロナウイルスのワクチン接種も努力義務となっていたが、厚生労働省が大好きな言葉なのかもしれない。
だが、努力義務という言葉がクローズアップされたのは、2023年4月から道路交通法の改正により自転車に乗る際のヘルメット着用が努力義務化された時だと思う。
警察庁でも使われている言葉だ。
これからの人気ワードになっていくかもしれない。
そもそも、努力義務とは何なのだろうか?
日本の法制上「〜するよう努めなければならない」などと規定され、努力義務に従わなくても刑事罰や過料等の法的制裁を受けない作為義務・不作為義務のことである。
とwikipediaでは解説されている。
特に罰則はなく、努めれば良いだけだ。
努めたかどうかなど客観的に評価できるものでもないので、実際に努力する人や企業は少ないだろう。
要は、国も企業も、そして個人も責任を負うものではない領域と言える。
国としては努力してくださいと言っているので企業や個人に責任を与えているようで、企業や個人は責任を負わされているとは感じないはずだ。
責任を所在を曖昧にしたがる日本らしい制度だなと感じてしまう。
自分の生活に直結しない部分の話であれば問題もないと思うが、今の日本を象徴している言葉だと感じる。
年金問題などが顕著な例だと思うが、人口減少・少子高齢化で崩壊に向かっている日本の賦課制度。
代行返上などにより厚生年金も個人に委ねられ、更には2,000万円は私的に構築してくださいと匙を投げるような発言もあった。
国は責任を放棄しつつ、誰にも責任を負わせないシステムを構築しているのだと思う。
だが、年金問題などは自分の将来に直結する話である。
「国を頼るな」、「自助努力が大切な時代」だと言われるようになったが、国は責任を取ってくれるものではないので、何事に関しても自己責任を真剣に考えておかなければ生き延びていけない社会に日本はなっているような気がしてならない。
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